銀座の街研究会は銀座の街の歴史をさまざまな角度から検証し、一部を公開しています。

基本情報

銀座(ぎんざ)は、東京都中央区の地名で、旧京橋区の地域にある。郵便番号は104-0061。住民基本台帳に基づく2014年10月1日現在の人口は3,523人、2010年10月1日現在の大きさは縦0.7km、横1.1km、面積は0.87km2。Wikipedia – 銀座
京橋方面から順に一丁目二丁目三丁目・・・八丁目、と新橋に抜けるまで碁盤の目になっている。新橋の芝口を抜けるととたんに京間8間のワイドスケールな銀座通りが登場し、かつては参勤交代のメインステージでもあった。


 

簡単な銀座の歴史

徳川家康が江戸に幕府を開いてからの城下町となる。それまでは海だったが大部分はこのときに埋め立てて作られた。家康は能が好きだったため観世、金春の能楽師たち、あるいは狩野派の絵師達を江戸に呼び、銀座に住まわせた。現在も金春通りなどその名が残っている。

明治に入ると文明開化により西洋文化が入ってくるようになり、明治5年の大火をきっかけに銀座の街は煉瓦街となる。
昭和の初めにはカフエーなど西洋の文化が一層生活圏に浸透し、文豪などが銀座に集うようになる。

その後戦後にはキャバレーなどが銀座通りを席巻し、銀行街、ブランド街など様々な様相を見せながら常に日本の最先端の街としてありつづける。


  • 江戸時代の主な出来事

    1603年(慶長8年)

    江戸の町割りを行い、三原橋付近まで埋め立て完了。家康は征夷大将軍に任命され江戸幕府を開く

    1612年(慶長17年)

    現・銀座1~4丁目の表通りの両側に駿河にあった銀座役所を移す

    1800年(寛政12年)

    大黒屋が現在地で鶏卵問屋として創業

    1867年(慶応3年)

    大政奉還。江戸時代の終了


  • 明治時代の主な出来事

    1868年(明治元年)

    江戸開城。東京と改称。築地に外国人居留地を設ける

    1869年(明治2年)

    町の統廃合が行われ、新両替町を通称であった銀座に変更。銀座という町名が誕生する。ギンザのサヱグサが伊勢興三枝として築地備前橋にて創業

    1872年(明治5年)

    銀座大火によって街がほぼ全焼。代わってウォートルスによる煉瓦街が設計され工事が始まる。

    1887年(明治20年)

    「服部時計店(現・和光)」が木挽町から銀座に移転


  • 大正時代の主な出来事

    1923年(大正12年)

    関東大震災により銀座再び全焼。同年11月には銀座通り商店、一斉開店。

    1924年(大正13年)

    松坂屋開店。カフエータイガー開店。

    1925年(大正14年)

    松屋銀座開店

  • 昭和時代の主な出来事

    1945年(昭和20年)

    第2次世界大戦終結。「松屋」「服部時計店(和光)」「東芝ビル」が駐留軍のPXとして接収される。

    1964年(昭和39年)

    みゆき通り周辺に集まる若者達がみゆき族と呼ばれ、60年代のファッションリーダーになる。東京オリンピック開催

    1967年(昭和42年)

    銀座に通っていた都電銀座線廃止。翌年には晴海通り、外堀通りの都電も廃止。

    1996年(平成8年)

    ティファニーが銀座2丁目に進出。この頃から世界の有名ブランドの銀座出店が相次ぐ


 
現在の銀座とゆかりのある歴史
  • 銀座といえば柳が有名だが、理由として煉瓦街が出来た明治の銀座通りではかつては埋め立てて作られた土地だったため、水はけが悪く桜や松は育たず柳が植えられた。銀座通りが整備された1921年(大正10年)並木はバッサリ切られる。
  • 銀座八丁目博品館は明治32年(1899年)から博覧会出品の品々を売る観工場だったが昭和に銀座パレスというキャバレーに変わる。昭和53年(1978年)同じ敷地に銀座博品館を建てた
  • 銀座八丁目天國ビルはかつてはビアホールの草分け恵比寿ビアホールだった。昭和初期に天國に変わる
  • 銀座八丁目に創業した資生堂は明治五年(1973年)近所の医師から処方せんを受けて薬を調合する薬局を開業したことから始まった。その後医薬品とともに化粧品を販売する。現在の本社は七丁目で三ツ星のロオジエがあるビルである
  • 銀座六丁目の交詢社ビルは日本最初の社交倶楽部として明治13年建てられた。
  • ライオン銀座七丁目は現存する最古のビアホールの一つで設計した菅原栄蔵はフランクロイドライトの元で帝国ホテルを設計した
  • 銀座通りでずっと同じ場所で商いしているのは五丁目の大黒屋さんと二丁目の越後屋さんなとごくわずか。最も職種は時代で変わり大黒屋さんはもともと清月堂さんなどにおろす鶏卵商だった
  • 銀座五丁目の鳩居堂さんは天皇遷都の際同行してきた宮中御用達の薫香、筆墨の製造販売会社である
  • 銀座と汐留の間には現在は高速道路があるがかつては汐留川が流れていた。1603年に街道の起点として日本橋がかけられてから中橋、京橋、と続き、江戸から通じる東海道で四番目に新橋がかけられた
  • 1872年、銀座の煉瓦街と歩調を合わせるように日本始めての鉄道が横浜、新橋間で開通した。横浜に降り立った外国人たちは新橋まで鉄道に乗り、新橋からとことこ歩いて霞が関に向かって行った。駅から降り立った時に見える光景が近代の街であるよう、明治政府は国策で銀座を煉瓦街にした
  • 全国で「〇〇銀座」と名のつく商店街は約600ある。
  • 銀座1丁目には奥野ビルという古風の建物があるがここは日本初のエレベーター付き住宅だった。現在は無数のギャラリーが入りアートの世界では外せないビルとなっている
  • 年越しそばは昔、金座・銀座で金銀を吸い取るのにそば粉を使用した所から縁起のよいものと珍重されていた。その後そばはたんぱく質、ミネラル、ビタミン、ルチン等が豊富でこれを食すれば高血圧や糖尿病が予防できる事を知り、事の初めや終わりに進んで食べられるようになった
  • 銀座3丁目には銀座教会がある。明治6年にキリスト教が解禁となりアメリカから5人の宣教師が横浜に降り立ち、彼らを中心とした日本美以教会は礼拝堂の銀座教会、専門書として4丁目の教文館、教育として青山学院などを築いた
  • 銀座にもついている「座」というのは仲間集団や同業者組合の意味で、歌舞伎座、南座などというのは、元は劇場の名前ではなく、出演していた役者集団の名前であった。銀座は両替商ギルド、阿波座は徳島出身者といった意味である。
  • 銀座の氏神さまは日枝神社と鐵砲洲稲荷神社。王子製紙あたりから上が日枝神社、歌舞伎座のほうに向かって鐵砲洲、鐵砲洲の方はもともと海だった地域が多く海運安全のご利益がある
  • 銀座はもともと島だったため銀座に来るためには橋を渡らなければ入って来れなかった。だから銀座の周りには新橋、京橋、数寄屋橋、三原橋など様々な橋がつく地名がある。
 

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様々な銀座発祥のもの
  • 「からあげ」は「唐揚げ」または「空揚げ」と書きます。江戸時代初期に中国から伝来した普茶料理では「唐揚げ」と書いて「からあげ」または「とうあげ」と読みました。出典唐揚げの歴史|唐揚げとは|日本唐揚協会お気に入り詳細を見る現代の「唐揚げ」が外食メニューに登場したのは昭和7年ごろ、現在の(株)三笠会館(東京・銀座五丁目)の前身「食堂・三笠」でのことです。三笠会館

  • 日本におけるインド人による初の本格的なインド料理店は、1949年(昭和24年)にA.M.ナイルが東京銀座で開店した「ナイルレストラン」であるナイルレストラン

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  • 1941年(昭和16年)、東京銀座の寿司店「久兵衛」において、当時の主人今田寿治が客の注文を受けて考案、それまで、寿司ネタとしてなじみがなかったイクラやウニを、握らずに飯で固定する方法で完成させた久兵衛

  • 1948年、店の常連客であった東京読売巨人軍所属のプロ野球選手千葉茂が、試合後にカレーライスと豚カツを同時に注文。さらに豚カツをカレーの上に載せて出すように注文していた。これをヒントとして、店主の岡田義人が正式にメニューに取り入れており、これがカツカレーの発祥とされている銀座スイス

  • 「オムライス発祥の店」を自称する店は多数あるが、東京銀座の「煉瓦亭」もしくは大阪心斎橋の「北極星」が有名である。「煉瓦亭のオムライス」は、明治33年(1900年)に卵に白飯や具を混ぜて焼いた賄い料理として作られた。時期は不明ではあるが、これを客が食べたいと所望したため「ライスオムレツ」として供されるようになった。銀座煉瓦亭

  • 1874年に銀座四丁目の木村屋総本店であんぱんが考案された。1900年には同じく木村屋総本店にてジャムぱんが考案された。宮内庁御用達の老舗。木村屋總本店